蔵ログ

没頭できることを求めて

2018年2月時評 バーフバリと水戸黄門と範馬刃牙

人の興味には鮮度がある。最近それをより痛感するようになった。ある一定の対象に興味を抱き、さらには行動まで起こす。日常的にやってはいるが、当たり前の様で結構大変、中々のやる気と体力を使う所作である。

それでも平然とやってのけるのは、その対象に対して「興味」があるからだ。英語で言うと I'm interesded in 何某だ。実に面白い。「興味・関心」というのは日常語でありながら、時には人生を変える程のエネルギーを産む。人類最大の的は「メンドクサイ」であるが。メンドクサイの最大の的は「キョウミアリ」だと思う。

サイとアリならサイの圧勝だ。しかり、それは単体での話。アリも束になればサイに勝てる(かもしれない)。乾坤一擲、雨垂れ石を穿つ、窮鼠チューチュー何とやらだ。

ではキョウミアリの天敵は何か?

「飽き」だ。キョウミアリはアキに弱い。…面倒臭くなってきたから普通に話そう。

人間は飽きる。それは仕方がない。モンハンにもいつか飽きる。ポケモンGOはもはや話題にならない。恋心は3年。未亡人は新たな面影に胸をふくらませる。

 エントロピーの増大が避けられぬのと同様に、人が飽きる事も避けられない。もし避けたければ、そこには意志と工夫が必要である。モンハンは縛ってプレイ。ポケモンGOはアップデート。時には恋人に花束とサプライズを。しかし、それにも限界はある。未亡人は使徒でも節婦でもない。

然らば、野生の興味を放ってはいけない。湧き出る好奇心を無視してはいけない。それらはカゲロウの如き儚き命なのである。奇跡的に生まれたのであれば大切にすべきだ。放っておけば直ぐに消えてしまう。しかし、キチンと向き合えば退屈な人生から抜け出せるキッカケになるかもしれない。それはまるで、地獄から抜け出さんとするカンダタの眼前に現れた蜘蛛の糸だ。

気にも留めなければ記憶にも残らない。記憶に残らなければ存在すらしない。釈迦の救いに気付かなければ、どうやって人生を生きていけるのか、希望を抱く事ができるのか。残るは世を儚み憂うだけである。世界を呪って妖怪や魔女になる、それほど悲しいことはない。

もう一度言おう、自分の興味や好奇心ともっと真摯に向き合おう。少しでもいい、街中、移動中、友達とのおしゃべり、何かしら引っかかった単語があるはずだ。あなたのアンテナに少しでも引っかかって来たもの、それこそが、ここではないどこかへ行ける唯一の道である。先の事は分からない。いい事ばかりではないかもしれない。苦しいこともあるだろう、悲しい事もあるだろう、だけど僕らは挫けない泣くのは嫌だ笑っちゃおう、進め~♪ひょっこりひょうたん島~♪ひょっこりひょうたん島~♪ひょっこりひょうたんじぃぃぃぃぃぃぃっぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~まぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ♪

バーフバリを観ながら、そんなことを考えていた如月でした。

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