世の中には泡沫候補と呼ばれる人々がいる。当選の可能性が限りなく低いのにも関わらず立候補する人々だ。有名どころは外山恒一氏、又吉イエス氏、ドクター中松氏辺りだろう。そして今回書くのはマック赤坂氏についてだ。
顔を見たこともあるだろう。奇抜なコスプレをして政見放送をしたことで話題になり、渋谷で踊る姿も頻繁に目撃され、もはや名物おじさんと化している。そんな氏を追ったドキュメンタリー映画が実は存在する。
先に結論から書いておこう。多数派に挑むのは凄いよって話である。
多数派に挑むのは非常に勇気のいる行為である。日常で考えてみよう。学校のクラスでも、職場も、趣味のサークルでも、皆が右と言っている中1人だけ左と言えるだろうか?同調圧力が極めて高い日本社会ではことさら難しいことが予想できる。異端、村八分、意見を異とする人には容赦ない言葉が浴びせられる。
そして、その最高峰が選挙である。選挙は大規模な多数決だ。当然多数派が勝ち、少数派の意見は無視される。
世の中は平等ではない。資産、支持団体、知名度、より大きな力を持った者が選挙とでも勝ちやすい。何の後ろ盾もない個人より、有力政党であったり、有力者からの支援がある者の方が勝ちやすい(だからこそ泡沫候補も存在するのだが)。しかし、日本は民主主義の国である、そうであるならば「機会は平等」でなけれなならない。劇中で彼が度々主張するのはこの点である。
「同じ供託金を払った、同じ一候補者なのだから、平等に扱われて然るべき」
新聞やテレビといったマスコミは極力公平に努めようとはする。しかし、政界の数力者と泡沫候補は国民の関心度も期待度も違う、有権者ですらその2者を平等に扱うべきだとは思わない。そういった現状に「機会の平等」というたった1点を武器に、多数派に挑む。これがこの映画のキモである。
マック赤坂陣営はわずかな人数で、ゲリラ的に橋下徹氏や安倍晋三内閣総理大臣の街頭演説へ挑む。彼らは日本最高峰の権力者達だ。そこには多くの陣営関係者がおり、多くの支持者が周辺を取り巻いている。この瞬間、テレビでよく見た知った政治家が、最高に恐ろしく、そして意地悪く見える。
彼らからすればマック赤坂氏は演説の妨害者であり、邪魔な存在でしかない。心なき人々(とは残念ながら言い切れないが)から罵声を浴びせられ、帰れコールを食らう。それでも彼は戦いを挑む。大大大集団へたった1人で戦いを挑む。自分なら泣いて逃げ出す場面である。圧倒的劣勢の中で、それでも主張を通すのは、確固たる思いか、狂人のそれか。いずれにせよ、映画のクライマックス、彼の姿と勇気には、心を熱くさせる何かがあった。
映画はマック赤坂氏を完全に持ち上げる作りにはなっていない、彼が立候補者という地位を使い、明らかに他者に迷惑をかけているシーンは多い。
彼は今回の選挙も負けるだろう。私も彼には恐らく投票しない。しかし、この作品を見れば、彼が選挙戦の裏で、何を主張し、どんな行動をとるか、もう少しわかるようになるかもしれない。