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没頭できることを求めて

鴨川ホルモーと青春

鴨川ホルモーという映画がある。

大学生の時にギョーカイの人がタダ券をくれて、有楽町の映画館で舞台挨拶付きで観た記憶がある。映画として傑作とは言いがたく、苦手な日本的演出も随所にある。それでも思うところが多かった作品だ。

 当時の気持ちを思い出しながら書いておこうと思う。

鴨川ホルモー

鴨川ホルモー

 

 

あらすじ

二浪した後、念願の京都大学に入学した安倍(山田孝之)は、一目ぼれした早良京子(芦名星)の存在が決め手となり「京大青竜会」というサークルに入部する。安倍はここをレジャーサークルか何かだと思っていた。しかし、実態は京都に千年伝わる競技、“ホルモー”のサークルだった。

 

要は京都の大学生が鬼を使役してバトルする話だ。初見の時の感想は、

「何でそんなことやってんの?」と思った。

もちろん物語的な理由はあるのだが(京都にいる神を楽しませる的な)それでも納得ができない。劇中で描かれるが、鬼の使役には儀式を行う必要があり、鬼語と呼ばれる言葉も覚えなければならない。はっきり言って面倒くさい。そして何より将来の役に立たない。

 鬼を使役出来ることで何の役に立つのか?シューカツのアピールにも使えない、モテるわけでもない、ポケモ◯マスターみたいに世間で認知されてるわけでもない(鬼はは基本認識されてないし、見えない)。

見終わった後、そんなことがグルグル頭の中を巡っていた。

 

そんで最終的に出た結論は、

楽しいからやってる、そしてそれが青春だ。

将来使えるとか使えないとか、稼げるとか稼げないとか、それは論理の世界だ。そこを免れているのは、経済自由人か学生だ。一切の生存の不安を免れた彼らの行動原理は楽しいか楽しくないかだ。そしてその尊さを忘れていた。

 

理由なんてなくていい、楽しいからやってる、そしてそれが青春だ。
そんなことを思った作品でした。

左様に。

 

(映画の出来は微妙なので、小説の方がオススメ↓) 

鴨川ホルモー (角川文庫)

鴨川ホルモー (角川文庫)