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没頭できることを求めて

意識高い()という病

意識高い系という言葉が使われて久しく、たまに頭の中に浮かぶことがある、できれば考えたくないので、1度考えをまとめて忘れてしまおうと思う。内容としては、

 

①意識高いと高い系の違い
②なぜ意識高い系は揶揄されるのか問題
③以上を踏まえた結論めいたも

 

ここら辺を考察してみたい。念のため、 

意識高い:良い、ポジティブ

意識高い系:悪い、ネガティブ

ということは前提として断っておく。

 

■意識高いと高い系の違い

元々を「意識高い」という言葉自体はプラスの言葉だ。歴史に名を残した偉人たちは大抵意識が高かった。キング牧師ガンジー、マーティールーサーキング、近代市民革命始めちゃった人達、坂本龍馬松下幸之助。現役ならイチロー氏、孫正義氏なども意識高いだろう。

彼らを両手挙げて揶揄する人は少ない。では彼らと意識高い系の違いは何か、要約するとこんな感じだろう。

実践するのが高い人、しないのが高い系

本質に拘るのが高い人、外見に拘るのが高い系

実績が伴うのが高い人、伴わないのが高い系

稼げるのが高い人、稼げないのが高い系

 

さらに分かりやすく、マトリックスにしてみると

    高い人 高い系

実践  する  しない

興味  中身  外見

実績  有り  無し

稼ぎ  ◎   △

 

 要は、発言や行動に実態が伴ってないのが意識高い系と呼ばれる人達だ。

でも待ってほしい、日本には若手アイドルなど歌唱力や演技といった実力に人気が伴っていない人達を「応援」する土壌がある。構造は似てるのに、なぜ意識の高さは槍玉にあがるのか?

もう一つ言えば、孫正義氏やイチロー氏も実績が無い時代や稼いでない時があったはずだ、その時彼らは(↑上の定義によれば)間違いなく意識高い系だったはずで、そうだとすれば、意識高い人になるには意識高い系を経なければならない。(当たり前だけど、意識高い系が全て意識高い人へなるわけではなく、意識高い人は全て意識高い系を経ている、という話。)

 

ここまでで出た結論はこうである。

意識高い系に①実行②中身に拘るマインドがあれば意識高い人間に近づける。
そうであれば、そんなに悪いもんじゃ無い。

 

■意識高い系はなぜ嫌われるか

結論から言うと、人は自分より意識高い人と一緒にいるのは心地よくない。高い系とか実際に高いとか関係なくだ。日常の中で考えてみよう。

 

大学入れればどこでもいい人、東大に入りたい人

TOEIC600点で満足な人、990点目指してる人

野球できればいい人、プロ野球選手になりたい人

年収400万で満足な人、1000万以上、なんなら起業したい人

お腹が満たせれば何でもいい人、美食家

家族が幸せならいい人、世界平和を目指す人

 

彼らの会話は噛み合うだろうか、恐らく否であろう。噛み合わないどころか、時間の意識感覚、使い方、常識や価値観まで全く異なる。価値観が違う、話も合わない、そんな人と一緒にいるのは疲れる。ここでまずヘイトが溜まる。

さらに厄介なのは、世間的には後者が良しとされていることだ。左側の人から見れば、右側は「世間的に」評価されうる人だ、それは現状の自分を否定することになるし、一緒にいるだけで自己否定つながる。そんな人間に好感は抱かない。ここでもヘイトが溜まる。

同じ物差しで測れる場所にいるのに、最終的な目的地が違うと話が噛み合わない、何なら一緒にいると疲れる。結果、同じ目的地の人と一緒にいる、同じ物差しで測れない目的地を持つ人と友達になる。人間関係の言説に「似た人か逆の人」に魅かれるという話があるが、まさにこの話だ。

 

先に挙げた意識高い系の意識のと実態の伴わなさ、そして、自分より意識が高い人への嫌悪、この2点が絡み合って意識高い系は揶揄の対象となっているだろう。

 

■結局どうすりゃいいの

個人的には意識高い系は仕方がないし、目に入らないようにすることも可能な以上、彼らに対して何か発言することも無粋だと思っている。アピールしたい人、見たくないけど見ちゃう人の対立がなくなることはない。だからこの問題に関する解決法は持ち合わせてない。できるのは存在し続ける上での最低限の助言だ。
 
高い系の特に高いヘイトポイントは過剰なアピールだろう。雉も鳴かずば撃たれまい。だから高い系への言葉としては「見たくない人に見せたくないものを無理やり見せる様なことはやめよう、それはやり過ぎだ。」

高い人や高い系を攻撃する人への言葉としては「確かにドヤ顔はムカつくけど、そんなこと言って叩きまくってたら、本当に評価される人やモノが世に出る機会が減るんじゃねーの?それは回り回って自分の不利益になるし、自由な発言ができなくなる世の中とか嫌じゃねーポイズンじゃねー」ってことである。

 

■結論

意識高い系でも高いでもどっちでもいいし、何でもいいよ。
どっちでもいいから、自分の目の前にあるやるべきことを、淡々と実行していこう。

 左様に。