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世襲主義と能力主義、どっちも辛いけどどっちが良い? 一橋大学2010年英語

こんにちは智蔵()です。久しぶりに大学入試の過去問解説をしたいと思います。今回は一橋大学の2010年の英文からです。

 

注意点は以下の通り

・平易な言葉を使う

・要約だけで文章の流れが分かるようにする

・トピックの背景知識や関連知識も見に付く様にする

過去問を買って自分でも確認するんだよ

 

それではやって行きましょう!

 

 

2010年①:能力主義への移行と功罪 

簡易版要約

パラ1:社会的立場と人格は一致しない

パラ2:地位と人間としての価値が無関係であることは主張するのが厳しかった

パラ3:世襲制が合理的か、文学界で例えて考えてみよう

パラ4:世襲制はバカげている

パラ5:社会的地位と内面的資質は無関係でなくなってきた

パラ6:能力と社会的地位が結びついた結果、金持ちは優れている可能性が生じた

パラ7:能力主義のおかげて、人は自分の能力を十分発揮できるようになった

パラ8:その結果、地位の低い人は、それが当然の報いであると思われるようになった

パラ9:貧者は、世襲主義の時に逃れられていた恥の意識を感じるようになった

パラ10:善良で貧しいなら何故貧しいのか?という問いが発生している

 

要約

パラ1:イエス・キリストは大工であり、彼を処刑したピラトは総督であったように、社会的立場と人間の価値は一致しない。

パラ2:封建的な世襲主義の時代には、地位と人間としての価値が無関係であることを主張するのは難しかった。

パラ3:世襲制が合理的か、文学界で例えて考えてみよう。本を選ぶ時に大事なのは、その本が良いか否かであって、著者の両親がいかなる人物であるかは関係ない。

パラ4:世襲による国の統治は、世襲による作家と同様にバカげている。

パラ5:仕事と報酬が客観的な面接と試験をへて配分されるようになった結果、社会的地位と内面的資質は無関係でなくなってきた。

パラ6:能力主義の世界では報酬と仕事は個人の知性と能力に基づくようになった。その結果、金持ちは裕福なだけではなく、他人よりも優れている者である可能性が生じてきた。

パラ7:能力主義のおかげて、人々は自分の能力を十分発揮できるようになった。出自はもはや出世において乗り越えられない障害ではなくなった。

パラ8:成功者がその能力によって成功するのであれば、失敗者はその能力によって失敗することになる。つまり、地位の低い人は、それが当然の報いであると思われるようになった。

パラ9:経済的能力主義の世界では、個人に、父から財産を相続していた貴族が得られない個人的達成感をもたらし、一方、成功の機会を奪われていた小作人が感じずに済んだ恥の意識を感じさせる事になった。

パラ10:善良で貧しいなら何故貧しいのか?という落伍者には厳しい問いが発生している。

 

ポイント

エスキリスト生きていたような封建的な時代では、個人の資質よりも門地(=生まれや家柄)が重視されていた。一方現代では、どこに生まれたかは然程重要ではなく、その個人がどういう人物であるかが重視されてきた。

これが、本文の前提となっている話だ。その変化を軸に各時代の「辛さ」を指摘している。それをまとめると次のようになる。

 

世襲主義

長所:社会的地位が低くても言い訳できる

短所:能力あっても社会的地位を得る事はできない

 

能力主義

長所:能力があれば社会的成功や地位を得る事が出来る

短所:能力が無いと得られるものが少ない

 

階級が固定された社会は辛い、封建社会を擁護するのは厳しい、この文章を読むまで世襲主義にメリットなんてあんのか??と思っていたが、まさかの利点があった。

自分の地位が低くても言い訳できるのだ。

 

地位が低くても言い訳できる!

 

地位が低くても言い訳できる!

 

そう、世襲制で階級が固定されていれば、自分の不出世は自分の力ではない。それは天から与えられた本分であり、なんの疑問の余地もなく自分はただただ与えられた職務を全うすればいい。それは誰のせいでもない、もちろん自分のせいではあり得ない。

 

なぜ近代市民革命は起きたのか?

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しかし、歴史そして現代のあり様を見れば、世襲制の長所はされなかったのだ。その結果が清教徒革命であり、フランス革命であり、アメリカの独立戦争なのだ。

これらは全て封建制世襲制への反対運動なのである。腐敗した政治、固定された階級、自分たちを縛る国家や制度、これらを一気に打倒し現在の民主主義は築かれた。

旧政権や旧体制は一体何がダメだったのか?ここで押さえておきたいキーワードは「固定」だ。

「社会階層が固定すると人々は暴動を起こす」この法則を肝に命じておかなければならない。

市民革命が起きた理由もこれで説明できる。固定した階級は、自分が何者にもなれない言い訳を与えてくれる。しかし同時にそれは、どうあがいても自分が何者にも、現在の生活を変えることもできない絶望を与える。

恋愛における告白や人生の選択において「やる後悔、やらない後悔」的な言い方があるが、階級が固定されることは、そもそもの選択の余地すら与えられていない状態なのだ。

 

なぜ福祉政策は重要なのか?

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ここまで説明すると、なぜ日本やアメリカの様なバリバリの資本主義国家で福祉国家が必要なのかも理解できる。

福祉政策と様々な「弱者」と呼ばれる人々への救済政策であるが、その資金は資本主義「強者」であるお金持ちから税金として徴収される。

お金持ちの立場からするとたまったものではない。自分が汗水垂らして稼いだお金が、(少なくとも彼らから見て)大して努力もしていない人々へ強制的に分配されてしまうのだ。

しかし資本主義世界において、強者と弱者の格差を放置しすぎると、いずれ中世時代の様に階層が固定してしまう。その先に待っているのは、血と暴力による革命である。だからどんなに理不尽でも福祉政策は必要なのだ。

大事なのは未来への可能性だ。努力によって逆転が可能だと思える内は革命は起きない。弱者の可能性を摘んでしまうことは、何として避けなければならない。

「日本ではすでに格差が広がって階層が固定している!」と主張する人々もいるが、僕自身、日本はまだまだ逆転の余地がある社会だと思っている。決して桃源郷や楽園ではないけれど、日本は努力の余地がある、いい社会だ。

 

能力主義社会における永い言い訳

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才能、コネ、学歴、縁故、特権、それらをダシに他者を蔑んでいなだろうか。確かにそれらの要素はゼロではない。しかしそれを含めて個人のパーソナリティなのだ。やってみるとわかるがコネや紹介は、実際面倒くさい。仮に紹介した人物が無能であった時、紹介する方にもされた方にもマイナス評価がついてしまう。

正規のルートであれば誰も文句は言わないが、なまじ知っている人が関わってくると面倒臭さが激増する。コネ案件は両者相応のプレッシャーを背負わなければならない。だから実情では有能な(あるいはそう見える)人物の所にしかコネ案件はやって来ないのだ。

コネや学歴があってもダメな人はやっぱりダメ。であれば、それらは社会的成功の絶対条件ではない。能力主義の世界においては、もはや言い訳は通用しない。真摯に自分の現状を受け止め、精神がボロボロになりながらも、細く小さい次の一歩を踏み出さなければならない。

あなたは既に気付いているはずだ。卑怯や羨みを患う我が心の奥底に、対象者への「憧れ」の光が宿っていることを。持たざる者は持たざる者の戦術に任せるしかない、微かに光る自分の資質を磨かねばならない。

それすらもせずに他者を傷付けるのは卑屈以外の何者でも無い。

 

永い言い訳

永い言い訳