蔵ログ

没頭できることを求めて

不登校向けのフリースクールを設立します。

というわけでタイトル通り、ひょんなことから不登校向けのフリースクールの設立に関わる事になりました。現在関わっているスクールのサイトや概要はこちら↓です。

 

私自身不登校の経験はなく、寧ろ病欠1日だけのほぼ皆勤賞でした。じゃあそんな自分がなぜ不登校支援をするのか、そこを含めて掘り下げていきたいと思います。

 

 

フリースクールとは何か?

フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る

フリースクールと聞いてパッとイメージが浮かぶでしょうか?フリー(free)には「自由」という意味もあれば「無料」という意味もあります。実際アメリカでフリースクールと言えば学費が無償の学校を指したりもします。

アルクが運営している英辞郎でfree schoolを検索すると「自由な学校、無料の学校」と出て来ることからもこの言葉が多義性が伺えます。

しかし、日本で「フリースクール」と言えば「不登校等になった生徒が行く場所」というのが一般的です。ここで、みんな大好き広辞苑を開いて見ましょう。

フリースクール

①子供の自主性を尊重し、公式のカリキュラムにとらわれない教育を行う学校。

不登校などの、通常の学校教育を受けていない児童生徒を受け入れ教育を行う施設。

                                  広辞苑 第六版

個人的には①の「公式のカリキュラムにとらわれない」という部分がフリースクールの肝であると考え、その中に②の「不登校支援」的な形態が含まれると解釈しています。なので今回のタイトルも「不登校向けのフリースクール」とわざわざ書いた次第です。

さて、日本におけるフリースクールの立ち位置が何となくわかったところで、なぜ不登校向けのフリースクールを設立する必要があるのか、そこを説明していきましょう。それに答えるためには、まず日本の不登校の現状を確認しなければなりません。

 

日本の不登校の現状 

不登校の定義

不登校の考察に入る前に不登校の定義をはっきりさせておきましょう。不登校の定義をざっくり言うと「病気や経済的理由以外で、学校を年間30日以上休んでいる生徒」を指します。

 

不登校の数と推移

では、不登校の数は現在どの用になっているのか?現在手に入る最新の統計、文部科学省平成28年度(2016年度)の調査結果を見てみましょう。以下↓がその資料です。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/10/__icsFiles/afieldfile/2017/10/26/1397646_002.pdf

 

この資料p62~63、p89によると、2016年度の時点、小学校で3万人、中学校で10万人、高校で5万人の不登校生が存在しています(ざっくり)。

 

高校で不登校の数が減少するのは、一応義務教育が終了して、希望しない生徒は高校に進学しないからだと推測できます。(現在の中高生の1学年の人数が130万人、そして高校の進学率が98%なのを鑑みると120×2%=2.4万人。そして3学年だから2.4万人×3学年=7.2万人。全てが不登校で高校進学をしないわけではないし、高校から不登校になる生徒もいることを考慮すると、納得の数字ではある)

 

次にその数の推移を見てみましょう(同資料で小中高生はp64、高校生はp91参照)。高校生の不登校数は人口の変動とほぼ連動しており、割合は一定です。

しかし、小中学生の推移は注目すべき点があります。ポイントは少子化で全生徒数が減少しているにも関わらず、不登校の数は着実に増えてきているという現状です。

これをどう解釈すべきか?色々な解釈が可能ではございますが、「学校という組織や制度が現在の教育が一部の生徒には合わなくなっている」と私自身は解釈しています。

  

学校は通うべきか

学校へ行く意味・休む意味: 不登校ってなんだろう? (どう考える?ニッポンの教育問題シリーズ)

何のために学校に通うのか?そういうもんだから、仕方なく、友達に会いに、部活のため、勉強のしに。そこには多くの理由があるでしょうが、多くの生徒が積極的に学校に通っている印象はありません。だからこそゴールデンウィークや夏休みの前には多くの生徒が心を踊らせているのでしょう。

多くの人にとって、学校は非常に効率のいいシステムです。知識を得て、友人を作り、社会規範を知らない内に獲得できます。しかし、全員がそこに通う必要はありません。学校は世の中に必要です。しかし、そうじゃない選択肢があってもいい。これが結論であり。私がフリースクール設立に協力している理由でもあります。

 

学校はなんのために存在するのか?どれくらいの人がこの問いに向き合ったことがあるかは分かりません。きっとそれぞれに答えのある問いだと思います。「なんのために存在するのか?」が難しければ「あなたは何のために通っていましたか?」と自分自身に今一度問うてみて下さい。

友達に会いにでしょうか。しかし、少し考えてみて下さい。中高の友達はたまたま同じ1年以内に生まれて、たまたま地理的に近くに住んでいた人間の集団に過ぎません。自ら望んで受験した学校ならまだしも、多くの人にとって友達は受動的な偶然の結果にしか過ぎません。実際、大学で趣味で入ったサークルでも一生の友達を作ることは十分可能です。

部活のためでしょうか。しかし、考えてみて下さい。スポーツがしたいのなら、各競技は若年層向けにスポーツチームやクラブチームを組織しています。真剣にやりたいのなら、そちらの選択肢も検討の余地があります。何も高校だけが部活の場所ではありません。

まさかとは思いますが、勉学のためでしょうか。それこそ、多くの中高生が予備校や塾に通っている事を鑑みれば、反論の余地はありません。確かに、指定校推薦や高卒資格は高校に行かなければ得られません。しかし、大学に行く事自体がそもそも勉学の「手段」であり「目的」ではない事を忘れてはいけません。そうであれば、その他の選択肢も自明なはずです。

まとめ

以上諸々を考慮しても、学校は存在する価値はあります。しかし、それ以外の選択肢がもっと認められてもいいのではないか、というのが再三繰り返している私の主張です。ここで言う認められるとは、国や制度にという意味合いよりも、社会や世間にというニュアンスが強いです。何も悪いことはしていないのに、主流から外れているというだけで、世間から後ろ指を指されるのは辛い物があります。

知らない物に不安を覚え、違うものは排他するのが残念ながら人の常ではあります。しかし、もう少し、中高生時代の過ごし方に関しては、多様な選択肢が当たり前の世の中になっても良いのではないかと思っております。

 

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