すっかり年末の風物詩M-1。
放映される度に賛否ありますが、それ含めて楽しませてもらってます。
笑いに点数をつけると言うのは非常に高度なことで、点数をつける方も付けられる方も悲喜交々です。
点数を付ける以上、そこには明確な上下があり、客観的に見える面白い面白くないが発生してしまいます。それは優勝を決めるコンテストにおいて避けては通れぬ道です。
しかし、今ここで改めて一視聴者として忘れてはいけない事を、心に刻んでおきたいと思います。
M-1に出ている人は全員面白い!
テレビのM-1に出ている人は皆面白い。私はこの事を「M-1出場者=ラーメン理論」と呼んでいます。それを今から証明したいと思います。
M-1出場者は全員おもろい
大前提としてM-1に出ている人は全て面白い。なぜか。
彼らは数千組の中から選ばれた10組なのだ。
2018年のM-1は合計4640組がエントリーした 。つまり、10/4640組≒0.2%。
決勝進出しているだけでも、上位0.2%の選ばれた漫才師なのだ。
(*追記:2021年には6017組、2022年は7261組がエントリーした)
M-1決勝は甲子園より難しい
甲子園と比べてみよう。
2018年の甲子園出場校はm全国3781高校のわずか56校。甲子園に出場している学校は、56/3781校≒1.5%、都道府県によって差はあれど、単純計算すると上位1.5%の強豪校なのだ。
甲子園出場して、野球が下手な球児はいない。
全員ゴリゴリのバケモン、県内トップの球児。
そして、それよりも狭き門のM-1。そんなん普通できひんやん。
若手とはいえ漫才師のトップ1.5%、つまり図にするとこういうことになる。
ところがここでM-1の罠がある。M-1しか見てないとそれしか基準がなく、次のように思えてしまう。
面白い中人たちだけを集めたら、その中で面白くない人が生まれてしまう。
しかし!事実はM-1に出ている時点でめちゃめちゃ面白いコンビ。
だから正しくはこうなのだ。
M-1で仮に最下位だったとしても、そのコンビは十分、いや十二分に面白い。多くの人に笑いを届けて幸福にできる芸人なのだ。
さて、これと非常に似た厳しい世界に生きるモノがいる。次はそれを見ていこう。
全てのラーメンは美味しい
さて、世の中には最高に美味しくて最高に悲しい食べ物がある。それがラーメンだ。
日本の国民食とも呼べるラーメンだが。僕らはラーメンに非常に厳しい。
少しでも自分の意に沿わないラーメンが存在すれば、口コミサイトに罵詈雑言を書かれてします。
何かに似ていないだろうか?
そう、M-1翌日の各自の寸評だ。
推しの漫才師の結果が振るわなかった、自分の感性に合わないコンビが好成績だった。
トップ3である決勝進出者にすら厳しい声が飛ぶ。
つまりM-1出場者=ラーメンなのだ。
もう少し詳しく説明しよう。
僕らがラーメンについて考える時、世の中には美味いラーメンと不味いラーメンが存在していると思っている。
確かにそうだ。
しかし冷静に考えて欲しい、果たして食い物として不味いラーメンは存在するのだろうか。
先に述べた通り、僕らはラーメンにやたら厳しい。
食い物として不味いラーメンがあれば、直ぐに潰れて消えてしまう。
そんな社会で不味いラーメン屋が生き残ることは、ラクダが針の穴を通る以上に難しい。
食べ物として不味いラーメンが存在しない以上、ラーメンでありさえすれば、その時点で美味し食べ物であるのは間違いない。
僕らは卑しくも、美味い食べ物の微妙な差異についてあーだこーだ騒いでいるに過ぎないのだ。
まとめ
もう一度確認しよう。世の中には確かに美味いラーメンも不味いラーメンも存在する。
しかし、食べ物というカテゴリーで考えれば、ラーメンは余裕で美味しい部類に入る。
同様にM-1出場者であれば芸人のカテゴリーで言えば十分面白い人たちだ。
これらをすっかり忘れてその差異について語る。その営みの高度さといったらない。
ただ、少し想像してみほしい。
ラーメンがなければ世界は味気無いし、お笑いがなければ生きるにはつまらない。
そんなときに僕らは欲するはずだ。例え不味くてもラーメンを、例え面白くなくてもお笑いを。
だから僕らは許すべきなのだ 、セントラルキッチンで味付けされた家系ラーメンを、つまらないM-1漫才師を。
本当は十分美味しくて面白いのだ。