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子供を褒めるのは是か否か 一橋大学2015年英語

パラリーか要約か微妙な感じだか。要は書いた人が言いたいことと、その論理構成を分かりやすくしようという意図である。

分かりやすさを優先するために、タイトルも要約も趣旨を変えない程度勝手に書いてます。(過去問持ってると思うので、真面目で正確なのが知りたければそっちを参照してね!)じゃあ利点は何かと言えば。

・平易な言葉を使ってる

・要約だけで文章の流れが分かるようになってる

・トピックの背景知識や関連知識が身に着く

こんな感じです。内容理解の補助になれば幸いでっす。

 

 

 

2015年⓵ 子供を褒める!その先へ…

 

段落要約

⓵子供を褒めること≒自身≒成績と思われてるけど、結果じゃなくて努力を褒めないと子供は伸びない。

②これはキャロル・ドゥエック博士の実験で有名になった。努力を褒められた事は難しい課題にも粘り強く取り組んだが、知性を褒められた子供は失敗を恐れたり、嘘をついたりネガティブな反応を招いた。褒める行為は諸刃の剣だ!!

③なぜ私達は一生懸命子供を褒めるのか?褒めなかった親世代と違うことを示すためである。

③しかし親の自己満足のために褒めても、子供に良い影響を与えない。考えることなく子供を褒めることは、子供を批判する前世代同様に、子供への無関心を表している。

④じゃあ一体、何が子供の自信を育むのか?

⑤子供に感謝は述べるが、簡単には褒めない80歳の女性の話

⑥彼女は子供を褒めないが、一緒にいて、関心を向ける。

⑦一緒にいる事が子供の自信を育む。子供は自分が意識を向けられる存在であることを知るからだ。

⑧誰かが自分に関心を向けていること、これが褒め言葉よりも我々が強く求めている事である。

 

 

 ポイント

この英文を読んだ時は、幸い「子供の能力ではなく、努力を褒めるべき」という話を知っていたので、すんなり理解できた。ここまでは(本文でも言っている様に)知っていた人は少なくないだろう。しかし、この文章はさらにその先に行っている。つまり「褒める」を脱して「関心を向ける」というより良い解を提示している。3行でまとめるとこんな感じだ。

普通、みんな子供の自尊心を育みたくて褒める。

でも褒める行為は諸刃の剣だ。誤って使うととんでもないことになる。

じゃあどうするか?関心を向けるだけで自信を与えられるよ!

この結論に関して一切のソースは無いが。感覚的には納得できる結論である。

 

 

スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック博士

パラ③で名前が出てきたキャロル・ドゥエック博士だか、ぶっちゃけ知っている受験生はいないだろう。でも、日本語に翻訳されて本が出版されたりもしている。

少しでも興味がわいたあなたに、彼女が登壇したTEDの動画があるので紹介したい。今回の褒める云々の事にも触れているが、それ以上に子供の教育について非常に示唆に富んだ指摘をしている。

いかがでしたが?なんつーか、個人的に凄く好きなタイプの発音の人でした。  

 

動画が見れない場合用に乱暴に説明すると。人には「停滞型」と「成長型」の人がいて、難しい課題に挑戦しないのが「停滞型」、その反対に果敢に挑戦するのが「成長型」。じゃあ、どうやって子育てをすべきか?何ができるか?そこがテーマとなる。

結論は、本文にもあるように努力した過程(プロセス)を褒める。「まだ」を教育に取り取り入れる(詳しくは動画で)。こうすることによって子供のマインドセットは変えることが出来る!、それによって難しい課題への向き合い始めた。

そんな話である。では、ここからもう少し話を深めてみたい。

 

個人の能力は才能か?努力か?

これも良くある議論である。概ね結論が出ているにも関わらず、定期的に議論が起きるトピックだ。このマンガでライバルの対立軸で使われたり、才能が遺伝に努力が環境に言い換えられて「遺伝か環境か」というの議論になったりもする。

その意味で、先に紹介したキャロル・ドゥエック博士は完全に努力環境型の立場の人である。人は学ぶことによって、変われる、成長できる。彼女の発言は非常に力強くエネルギーを与えてくれる。気に入った方は著書をどうぞ。

マインドセット:「やればできる!」の研究

マインドセット:「やればできる!」の研究

 

 

それで結局、人の能力は才能なのか?努力なのか?答えは両方だ。

しょうもない結論で申し訳ないが、そうだ。才能や遺伝はもちろんある。それは人間が遺伝子を伝達する生き物である以上仕方がない。また一方で努力や環境に依存する部分も大きい。人の脳は大いなる「余白」を持っており、環境や経験によって柔軟に形を変える事で知られている。留学や帰国子女の優位性はもちろん、所属する集団の構成員に思考や人生観が大いに影響されることは想像に難くないだろう。

才能や環境に言い訳をして、何も行動しないのが一番良くない事だけは覚えておこう。他者の才能や環境を呪う暇があれば、自分の才能にいち早く気付いて、集中できる環境の構築に不信しよう。それが肝要である。参考図書をもう一つ紹介しておく。

 

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

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2015年② アフリカ人女性の美白

 

段落要約

⓵筆者の住むナイジェリアでは多くの女性が美白商品を使う

②石鹸やジェルや注射など、美白商品の具体例

③人気モデルベラシディカは脱色を認め炎上した

④シディカSNSでも炎上

⑤アフリカには「黒は美しい」というスローガンがあり、美白すると白人への劣等感だと非難される

⑥ナイジェリアでは77%の女性が白くする商品を使うが、男性に支配されたメディアはその行為に批判的

⑦確かに黒は美しいけど、どの色でも美しいじゃん。それにもう2014年なんだし、スローガンとかもういいじゃん、個人の好きにさせたげて!

⑧困ったことに、アフリカでは白い肌の方が注目され、ありがたがられる

⑨ナイジェリアの男は色白が好きなくせに、漂白する女が嫌いだ。欺瞞やんけ!

⑩黒の中に白があれば目立つし、逆に白の中に黒があれば目立つ。ただそれだけの話なんだから、社会は口出しせずに個人の好きにさせたらいいじゃん(いいじゃん)。 

ポイント

正直この文章を読むまではアフリカでこんな事が起きているなんて全く知らなかった。読みながら浮かんだ具体例はマイケルジャクソンぐらいで、社会現象にまでなっているなんて全く知らなかった。そんな事を思っていたら、ちょうどこんなトピックが話題になっていた。

 

元ネタの英文記事はこっち→Meet The “Queen Of The Dark” Who Was Told To Bleach Her Incredibly Dark Skin By Uber Driver | Bored Panda

普通なら「ふ~ん、そんな人いるんだ」ぐらいで流すニュースだけど。この英文を読んだ今なら、パラ⑥で紹介されてるメディアの人たちはホルホル顔でこのニュースを配信するんだろうなー、みたいな想像が出来る。(事実かどうかは別として、文章を読んだことで、そうでなければできなかった‟推測”が起こったとこが大事)

まぁ、それは割とどうでもいいんだけど。これが話題になった理由はなんだろうか?このニュースの意味は、そして盛り上がりの原因はなんだろうか?文化的背景を知らない感覚だと「世の中には、こんな黒いモデルさんがいるんやな~」であるが、事態少しわかると「彼女は、多くのアフリカの女性が白い肌を望んでいる現状で、人よりも肌が黒い事を誇りにしているモデルさん」という価値があることが分かってくる。いやいや、まんまやんけと思うかもしれないが、そこが大事である。リンクを飛んで見て貰えばわかるが、確かに彼女は黒い、他のモデルと並んでる写真があるが、一般的なアフリカ系の女性よりも圧倒的に黒い。

僕が黒の美を普及させたい勢力の人なら(そしてそうするだけの力があれば)、彼女を広告塔に、より多くの女性がホワイトニングせずにそのままの色を維持してくれるように働きかけるだろう。

 

脱色ビフォーアフター! 

パラ③④でベラシディカという人気モデルの名前が出てくるが、どんな人が見てみたくはないだろうか?軽く観覧注意だけど、件のベラシディカも含め、11人のホワイトニングしたセレブが紹介されているので、気になったら見てほしい。ビヨンセの様なビックネームもあるが、個人的にはメジャーリーガのサミーソーサが衝撃だった。整形の是非が一番似ているだろうか?これも最終的には「個人の自由」ってことになるけど、

 

他者と違う願望

この文章で面白買ったのは、最終パラグラフの「結局、他と違ってるから目立ってるだけでしょ」という言説だ。確かにその通りなんだけど、これは「人は他者と同化したいか、それとも異質になりたいか」というテーマと繋がってくる。

このテーマもすごく面白くて、人には他者と同化して安心したい気持ちと、差異化して目立ちたい気持ちがある。ただ、この差異化が厄介で、ただ単に周りと違ってればいいかというと、そういうわけでもない。みんなが夏服のなか一人だけ冬服は嫌だし、全員現役生の中で自分だけ浪人生も嫌だろう。

他と一緒は共感を生みやすく、攻撃の対象となりにくい、しかし周りに合わせてばかりいると自分を見失うかもしれない。他と違うことは注目され、承認欲求を満たさるかもしれない、しかし同時に反感を買うかもしれない。だったら多くの人が取る選択は決まってる、基本的には同じだけど、価値あることにおいてのみ差異化して目立つ、という戦略だ。足が速い、お勉強が出来る、部活で活躍する、営業成績がいい、こうして各人が自分の役割を考えて、その場所で自分の価値を見出そうとする。これが、人の(表面的な)性格が関係性によって形成されるメカニズムだ。

しかし、見た目はどうだろうか。見た目はおいそれと変えられない。いわゆるの劣等コンプレックスは、自分の所属する社会で価値があると思われているモノを自分が所有していない状態で発生する。これが努力や立ち振る舞いで克服できるものであればいいが、身体的なものは如何ともしがたい。

鼻が高い事に価値がある集団で鼻が低い、身体が太い事に価値がある集団で痩せている、目が大きい事が価値ある集団で目が細い、白い事が価値ある集団で黒いetc

自分が完全に受け入れられる社会など稀であろう。そして、頑張っても変えられないものにエネルギーを注いでも仕方がない。じゃあ、どうするか。本文にある様に、人はないモノねだりをする、だったら自分のコンプレックスが極端に目立つところへ行ってしまおう。黒人は美白クリームで肌を白くしている、白人もクリームを塗って小麦色の肌を目指している、結局ないモノねだりなのだ。反感を覚える人もいるかもしれないが、目立った分だけ、きっと好感を持ってくれる人もいるでしょう。

 

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