今よりもっともっと若かった時、サブカル的なものに傾倒していた時期があった。少年誌のお決まりストーリーに飽き、青年誌の展開にも慣れて来た頃、本屋の片隅に今まで一度も言った事のない棚があることに気がついた。
聞いたこともない作者、名前も知らない出版社、そこからおどろおどろしいものを感じたのを覚えている。
永井豪、つげ義春、吉田戦車、いがらしみきお。ヒロインの首が飛ぶ、論理が通じない人々、荒唐無稽な見付き、自分の頭じゃ決して浮かば無い世界観。罪悪感を感じながら、少しずつ読んでった。
長い話は面倒だから、結論からいこう。一人の人間がサブカルに傾倒しかけ、とっとこ逃げ出す話である。この世界は無理だと悟り、尻尾を巻いてまんまと退散してしまった話だ。
サブカルとは何か?なんて話はしない、定義なんてどだい無理。。あなたにもあなたのサブカル観があるはずだ。周りの誰とも共有できないもの、それが僕にとってのサブカルだった。そしてその代表が「家畜人ヤプー」だった。
「家畜人ヤプー」というマンガがある。元は小説だが、仮面ライダーの石ノ森先生がマンガにしたものだ。興味ある人はwikiでも読んでほしい。要は日本人が家畜にされてる話だ。先ずこの設定がビックリだ。
読んだのは中学生。当時、戦後50年を少し超えたぐらいのタイミングで、日本とアメリカ、みたいなことを漠然と考えた時期だった。そこに来て、このテーマ。最初はおもしろかった。でも、途中で止めた。正確には読めなくなった。
原因は何か?白人に奴隷にされる日本人への同調?アングロサクソンを神と崇めるモンゴロイド?...どっちでもない、受け付けなかったのはヤプーたちの家畜化描写だ。人間を家畜化する、身体改造に耐えられなかった。
スプリットタン、割礼、纏足、ボディーサスペンション、それだけでも十分つらい。なのに、それ以上の身体改造に耐えられるはずなかった。それて「家畜人ヤプー」を読むの諦めた。麟一郎はまだ人間だった。
それから、僕は自分の思うのサブカル的なものから距離を置くことにした。憧れはあったが、しかし、まことに、残念ながら、そこは自分が気持ち良くなれる世界ではなかった。
これはサブカル論ではない、先にも行ったが定義などできない。あなたにも「かつて憧れた世界」があったはずだ、僕にとってそれがサブカル的なものであり、その限界が「家畜人ヤプー」だったという話だ。才能、特性、適正、金銭、....限界は周りじゃなくて自分が決めるものだというけれど、あるものは仕方ない。そう、超えられないものはある。それを自覚した上で、上手に付き合わなければいけない。その境界を知るのも自分を知る事なんじゃないか。
そんなわけで僕は「サブカル人間になりたかったけど、なれなかったヤプー」なのである。
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