■トピック
パラ1:見ることへの問い
パラ2:大きさへの問
パラ3:目の認識の仕方
パラ4:結論
■要約
パラ1:「目で見た」は信用できるか?!
パラ2:ある物を見たとき、その大きさについて何が分かるか?
パラ3:目は世界を写真の様に認識しているのではなく、知っているモノの特徴を選択して認識している。
パラ4:我々が知覚する物の大きさは、他の点で知っていることに左右される。
■全体
テーマ 目で見ることと、物の大きさの関係について
主張 目に映るものをそのまま認識するのではなく、選択して認識している。
■つまりどういうことだってばよ
割と抽象的なで硬めな内容だった。扱ってるテーマは面白いのだが、いかんせんこの文章があまり面白くない、。なので、具体例を挙げながら内容を咀嚼していきたいと思う。
結論を書き換えるとこうだ、「人間は目で見たモノの大きさを解釈して認識する」
例えば、ピンポン玉を手に取って夜空の月と比較している場面を想像してほしい。丁度掲げたピンポン玉と月が同じ大きさに<u>見えた</u>としよう。それでも、私たちはそれらを同じ大きさだとも思わない。なぜなら月はピンポン玉よりもはるか遠くにあることを知っているからだ。
<b>同じ大きさの丸い円</b>が目に入ってきても、一方は指でつまんだピンポン玉、もう一方は遥か彼方にある月。この2つの<b>情報を解釈して</b>、同じ大きさに見える物体がその実異なる大きさの物体であると<b>認識している</b>のだ。
逆に情報が邪魔をして、目の前にあるものを誤って認識してしまう事もある。この性質を利用したのが錯覚やトリックアートである。
■ポッキーは5円玉の穴を通るか?
繰り返すが、人間は解釈を行って、情報を取り込む(=認識をする)。つまり、対象の情報をありのまま受け取るのではなく、何らかの意味を付与して取り込むのだ。逆に、意味付けしていない情報は認識していない。
ここに、五円玉とポッキーがある。さて、認識の問を立ててみよう。
<b>Qポッキーとプリッツは五円玉の穴を通るか?</b>
いずれも一度は目にしたことがあるものである。ポッキーもブリッツもお菓子の定番と呼べるものであり、日本で暮らしていて5円玉を避けるのは難しい。それにも関わらず、速答できない問題である。
それは何故か?この問いの観点で世界を見たことないからだ。
僕らはこれらを知っている。見て、触って、使って、なんなら食べたこともある。しかし、比べられるほどには正確に認識していないのだ。五円玉は色と大体のデザイン、ポッキーはチョコと柄のバランスぐらいしか認識していない。これが「特徴を<b>選択して認識</b>している」ということである。
さて、ポッキーは五円玉を通るのか?是非ご自身の実験して確認してもらいたい。(その後プリッツでも)
今回のテーマをもう少し抽象化すると「人は知らないことは認識できない」となり。逆に言えば「知っていれば認識できる」となる。オバケも幽霊も幸運も富も「知っているから認識できる」人がいるのである。これらを応用したのが「引き寄せの法則」であり、「運がいいと思っている人が、本当に運がよくなる法則」である。
その話はまた。
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