これは私が勝手に提唱している説である。
エアーポケットとは空白の事、つまり10~3月は空白になっていないか?10~3月はあっという間に過ぎ去ってないか?という問いである。
何を隠そうこの記事を最初に書いたのは去年2015年の10月である。そして気がつけば3月が終わっていた。日本の冬は短い(かもしれない)。
なぜそう感じるのか、その原因と対策を考えてみよう。
仮説①:締イベント原因説
10月末はハロウィン、11月は既にクリスマス商戦、クリスマスが終わると年の瀬、それも終わると新年・正月・正月ボケ、2月のバレンタイン、卒業・異動シーズンもう年度末…?
こんな感じで秋冬を過ごしていなだろうか?
10~3月はイベントが多い。しかも「締め」のそれが多い。締めのイベントとは「何かを区切りをつける、終わらせる」イベントだ。
具体的には12月末と3月末が該当する。年末と年度末だ。会計年度であったり、学年末であったりという部分もあるだろうが、何より「世間的」な末締めの空気がある。
少しから意識がこれらの末に向かっていく。つまり、11月から年末への意識が始まり、2月から年度末への意識が始まる。そうなると、心(意識)は現在に在らず、常に少し先に集中していることになる。
意識が現在に集中していなければ、時間が過ぎ去るのは早い。時間を感じるのは意識だが、その感じる意識が無ければその時間は限りなく存在しないものになる(ここを詳しく書くのは別の機会にしたいが、今日だけ頑張るという意識は重要だ)。
この仮説をまとめよう。
時間的な「締め」は対し誰も抗えない、呑まざるを得ない。しかし、それをわかった上で意識的に今日や今に集中すれば、エアーポケットから抜け出せるかもしれない。
仮説②イベントが個人(自分)のものじゃないから説
この説は若干苦しい(がゴリ押ししてみよう)。
では、もう一度10~3月の主な行事を振り返ってみよう。
ハロウィン、クリスマス、大晦日、お正月、バレンタイン、受験シーズン、卒業・異動。カタカナが多い。
一方4~9月の主な行事は
始業、ゴールデンウィーク、七夕、夏祭り、夏休み、御盆。
4~9月が個人や親しい友人と楽しむ行事である一方、10~3月は世間的なイベント多い。4~9月の行事はその中で何をやるっていうのが特に決まって無いのに対し、10~3月のイベントは割と「型」がある。
ハロウィン、クリスマス、大晦日、お正月、バレンタイン、卒業・異動…、多少の違いはあれ、参加者全員で大方同じことしていないか?
ここから、個をコミュティーや世間に合わせている内に時間が過ぎ去っている、と解釈できないだろうか。 そうであれば、世間に合わせず、自分の日常や習慣に意識を集中すればエアーポケットに陥らずに済むかもしれない。
さて、反論しよう。
コミュニティーは煩わしいが、社会的な生き物である人間は、その中しか幸福感じられない。コミュニティーを排することで個人の時間を増やすことはできるかもしれないが、そこに幸福があるのだろうか? あるいは、幸福を減らすかもしれない行為するのは賢い選択と言えるのだろうか?
◼︎まとめ
以上の2つの仮説から鑑み10-3月エアーポケットへの対策をまとめると、「世間やコミュニティーの流れにある程度乗りつつ、それでも今や今日に意識を集中させるのを忘れない」ということになる(そしてこれを忘れないために紙にでも書いて玄関にでも貼り付けよう)。
なんとも口に出すのも恥ずかしい、古典的な結論になったのでした。
南無三。